この10年で出来たこと、できなかったこと

 課題としてピックアップした情報の共有化と人材の整理についてまず触れよう。掲示板や保守と改造のコーナーで、情報の共有化については十分できたと考える。皆さんの進歩のおかげで、簡単ながらも盲点をついたナイスアイディアや非常に高度なレベルのものまで取りそろえることができ、多くの人の役に立っている。例えばオートメカニックといういじり系雑誌があるが、当HP掲載のレポートのレベルはそれを遙かに凌駕している。例えば当HPでよくやっているエンジン降ろし企画なんて、そんなにやってないからだ。他の自動車関連HPでも、ここまでの結果を出し様々な事例を集約しているサイトは少ないだろう。もっというと当HP以外のAZ−1関連のHPの出来も、他の車のサイトと比較して抜きん出ている。「あやしい車」で取り上げているネタはものすごく面白いし、にっしゃさんもいろいろなデータ・情報をカタログ化していて大変参考になるし。
 また特別企画を通じて、AZ−1以外の自動車趣味の姿や動向を発信し、共有化出来たと思う。特に自動車雑誌では誌面の都合で取り上げられないようなこと(例えば太田裁判等)にも積極的に食らいついていき、課題とあるべき姿、解決の方向性や実行結果を提示してきたので、多くの人の参考になってきたと思う。仮に他のサイトで取り上げたとしても、見てくれる人がいなければ何の意味もない。
 人災(じんざい)の整理も断行し、よりよい方向に進めるよう土壌を整理した。これは今まで触れてきたとおりだ。
 一旦まとめると、10年にわたり行ってきた活動を通じて、自動車趣味(言い方を変えれば稀少絶版車遊び)遂行に必要と考えられるハイレベルな情報の発信と共有化、その土壌の育成に関しては、あらゆるメディアを通じて国内トップレベルにまで成長できたと思う。

 その他の旧車の犯した過ちについて正せたか否かについて触れよう。まずパーツの供給であるが、ヤフオクを中心としての売り買いが定着した。これにより他の車では雑誌の売買欄等で細々と取り引きされていたものが、AZ−1ではネットでのやりとりが主流となることでオーナー各人がパーツを入手しやすくなり、ストックも進んだ。定着の事実は、トップページからリングしているオークション一括検索サイトの「オークファン」で、「AZ-1」というキーワードでの検索回数が常に上位にランクインしていることからも明白だ。私自身も、皆さんの意気込みにつられる形でAZ−1を再生する上での原型としてフレームまでストックすることが出来た。旧車を他山の石とし、来るべき将来を見越してここまで徹底的に実行した事例はないように思う。


 以上を踏まえた上で、当HPが掲げる目的とあるべき姿が達成できたかどうか振り返ってみたい。
 まず「AZ−1の存在をインターネットを使って世界中に知らしめ、かつ、その歴史を編纂し後世に伝えること」という目的であるが、ほぼ達成できたのではないかと思う。アクセス数からして明らかである。
 「上述の目的の達成を通じて、今までの誤った自動車文化を根底から直し、これからの自動車組織のあり方のモデルケースとなること」というあるべき姿だが、これについては道半ばだ。「誤った自動車文化を根底から直し」との部分は、前述の情報の共有化部分でも触れたとおり、根底から見直すような取り組みを行い成果を出している。しかし、AZ−1の周辺では達成できたとしても、モデルケースとして他の車のサイトの見本(テンプレート)として使用されてはいない。例えば、手紙や電話が通信手段だった旧車でもメール等が使われ始めている。一見進歩があるかのように感じるが、旧来の手段が電子メールという手段に置き換わっただけで、自動車趣味としてのあるべき姿への本質的変化のために活用されているわけではない。今までの経緯や負の遺産があまりに大きいため舵が切り替えられないということだろうか。あれだけやった太田裁判での課題と対応策も十分展開されているとは思えない。一方で10年が経過したと言うことは、必然的に旧車として定義されていい車種が増えてくることを意味するが、このような車でも旧車の犯した過ちを繰り返しつつあるように思える。
 かかる事態について当HP的にはなんとかしたいのだが、私自身としては積極的に改善を提案してもよし、滅び行く車の姿を他山の石として看取ってもよしと、全く相反する考えがあり対応を決めかねている。が、何れにせよこれらの結果なり情報はAZ−1の進むべき方向性の示唆とその方向性が妥当であることの証として、またAZ−1発展のために活用・還元していく。