特別企画・・・最も印象に残っているもの


 特別企画というのを毎週やっている。これはAZ−1以外の車に視野を広げ他はどういう方向性にあるのかを知る、参考になる部分や他山の石とすべきことがあれば「AZ−1はこうすべし」、「やったらこうなった」と提言・検証していくものだ。
 今まで約400件の特別企画をやってきたが、中でも最も印象に残っているのが太田裁判に関するレポートである。なぜなら、太田裁判こそ、現状の自動車趣味の悪いところの全てが織り込まれているものだったと言っていいからだ。

 このレポートの中では、一般の人ではできないようなかなり特殊なことにも挑戦し実現した。FISCO側の弁護士さんに会っていろいろ聞いたのだ。なぜそんなことが出来たかの裏話を最初にしよう。この弁護士さん、当時東京は四ッ谷駅前にある「聖イグナチオ大学(←こんな書き方をしたらエロゲーに出てくる学校の名前みたいだ)」の隣りに事務所を構えていた。このことは公判記録により前々から分かっていたのだが、ひょんなことから私の嫁さんが聖イグナチオ大学に入学してしまった。このチャンスを生かさない手はない。隣りに事務所があるんだから大学の先生の誰かが知ってるんじゃないかと思いあれこれ当たったのだがダメ。ところが奇跡は知らない間に起こっていた。なんと、弁護士さんの息子が聖イグナチオ大学に入学しており、嫁さんのクラスメートだったのだ。このコネを使い、FISCO側の弁護士さんに接触できたのである。

 全く関係ない話だが、「卒業感謝ミサ」なるものが行われた時の話(我々は神学部ではありません)。



 ミサが終わったところに、なぜか山伏(?)がやってきた。



「邪教死すべし!」
と暴れるのかと思いきや、キリストさんの前で土下座を始めた。しまいには、教会内でホラ貝を吹き始めた・・・いったい何だったんだ??





 話を元に戻そう。冒頭この裁判は自動車趣味の悪いところを全て織り込まれていると書いたが、一言で言うとみんなある程度の情報はしりつつ、車に対して何の合理的判断も下さず好き勝手にやっているとしか思えない点である。

 第一は、訴状によると安全が確保されるレースを検討するために裁判を起こしたはずだが、未だ安全対策が検討された様子がないこと。根幹をなすべき部分の有言不実行はなんぼなんでもまずい。利己的な利益確保のために裁判を起こした訳ではないという大義名分がなくなる。これじゃあアメリカが起こしたイラク戦争よりも大儀が感じられない(大量破壊兵器の有無はともかく、石油資源をアメリカの影響下におき各国に安定供給するという大儀はある)。原告は何ら安全対策を講じず挑戦と称してアマチュアのレースを行っている。なぜ同じやりかたをし、同じ失敗を繰り返そうとする?? 事故したら再びオフィシャルを訴え泥沼にはまるつもりだろうか??

 第二は、こういうリスクを抱えたエントラントを参加させるオフィシャルの判断基準である。誰をエントリーさせるかはオフィシャルの裁量の範囲だが、メリット・デメリットを十分勘案して判断しているとは思えない。公判資料によると、原告は損害賠償を請求しない旨の誓約書に署名していないはずである。そうすると万一のことがあった場合、オフィシャルは完全に不利な立場へと追い込まれる。気合い・人情・心意気で参加を認めたとしても、それがどれだけオフィシャルのメリットにつながるのだろうか。

 第三は、一部雑誌社の矛盾した対応。情報を発信する側の対応として、まずすぎる。例えばTipoは事故直後にオフィシャル批判の記事を特集したが、争点の1つとなったものとほぼ同じ誓約書を用いて、岡山国際サーキットにおいて毎年オーバーヒートミーティングを主催している。それはそれで毎回楽しませてもらっているので大変有り難いことなのだが、事故が発生した場合批判した側が批判される側に回りかねない。おまけに当時のTipoは裁判所に証拠として保管されており、何かあれば危険性が十分予見出来たにもかかわらず十分な安全対策を講じなかったとして極めて不利な立場に陥る。私にはTipoがそんな目に遭って欲しくないと祈る事しかできない。

 医者の世界では産婦人科医などが減少していると聞く。理由の1つに医療事故が起こった場合、裁判で敗訴する可能性が高い分野だからだそうだ。太田裁判の場合、病気になった医者が医療事故を起こされ、裁判に持ち込んで医者が医者を負かしたようなものだ。かかる弊害を知る得る者が、裁判起こすか普通!? 医療事故の裁判は頻発しているため産婦人科医等の減少が顕著になっているのだろうが、レース事故での裁判は事例が少ないとはいえ、原理的には全く同じである。こんなことがまかり通っていれば、誰もレースを開催しなくなるだろう。未だにレースをする人が多いのは、覚悟のできている人がいる一方で、このような事態に気が付いていない人が多いため。知らぬが仏とはこのことだ。情報の共有化が未だに十分進んでない傍証だろう。

 以上の対応を見てみると、車を生業とする者がいったいどれだけ真剣に車のことを考えて行動しているのだろうかと思えてくる。いずれも合理性はないし、大義名分もわからない。これを自動車趣味の悪いところの全てが織り込まれたプロでの事例と言わずして何と言おう。アマチュアの手本となるべきプロの対応がこれだから、自動車趣味がよくなろうはずもない。既に終わったことなのに、まだうじゃうじゃ言わざるを得ないほど間違ったことだ。実に疑問であり残念であり悲しむべき事態である。