御殿場周辺の自動車関連博物館が我々に残したもの

 我々に残してくれた物には、結果的に功罪2つの面があると思う。

 功:恐らくスクラップにされたか他国で展示されたであろう名車を自腹を切って日本に集め、多くの人に貴重な車を見せる機会を作った。
 罪:車を集めたまではよかったが、それをどう使うかが明確でなかった。それが結果的に、「自動車趣味とは、集まるだけで何もしないこと」につながったのではないか(推定)。


 「功の面」について一言でまとめると、誰が書いても上述の通りになると思う。よって、これ以上書いてもしょうがないので省略。
 注目したいのは、博物館が閉鎖された事から見えてくる「罪の面」だ。当事者でもない私のような人間が「あーだこーだ」と言うことは、現状のモータージャーナリズムのあり方のようで気が引けるが、こんなことをまとめる人は誰もいないし、自動車趣味の本道を考えていく上で他山の石とするためにもあえて書こう。

 「罪の面」を語る前に、どうしても目に付いてしまうのが「商才のなさ」だ。私を含めて自営業をやったことの無い人でも、それを感じてしまうのではないだろうか。特に松田コレクションの立地場所の「ブレの多さ」、「スクラップ&ビルドを行う際の効率の悪さ」は理解を超える。富士山が見える場所にさえ作ってしまえば客は自然に寄ってくるかのような発想もそうだ。
 2013年は富士山が世界遺産に登録された年でもある。自動車関連博物館跡地は富士山が見える所が多いということを述べてきた。富士山を見たときに感じる雄大さ・荘厳さに私はいつも舞い上がってしまうのだが、それと似た感情が生じ、博物館建設にあたり正常な判断を下す理性が乱されてしまったとでもいうのか。


 さて本論の「罪の面」である。これは結果論だが、この手の施設が「自動車趣味とは車をならべてメシ食ってダラダラすること」に寄与した可能性が高い。特にスポーツカーガーデンは、富士山も見えるし、場所も広いし、自動車雑誌の編集部とも近いしで、各種ミーティングの舞台となってきた。それが雑誌を通じて全国に広まるのだから、皆がそう勘違いしてもやむを得ないところか。実際、開催数は少なくなったが、今でも自動車関連のイベントが行われている。



 しかし、御殿場近郊の(=出版社の本社がある東京に近い)自動車関連博物館は壊滅した。電子化の波に押されて自動車関連出版社も青色吐息となっている。コレクションが見れなくなったのは残念だが、これを好機と捉え、今一度自動車文化とは何か、自動車趣味の本質とは何かを考え、行動したいものだ。



【余談】
 外国における「古い車を大切にしていこう」という行為は、文化というにはほど遠い。実態は、古い車の部品を作って売ることで生活の糧を得ている人が少なからずいるため、彼らを見殺しにできないということだ。もし(現在進行形の)文化だというのなら、そこには進歩が付随してくるはずだ。しかし、実情はすぐに壊れる部品を作り続け、改良しようという気すらない(LucasやIntermotorの品質が代表例)。壊れなくなったら、部品の売り上げが減少して商売あがったりになってしまうためである。この実情から目を背けた「モータージャーナリズムという日本の文壇」が、古い車の壊れやすい部品を改善することなく延々と供給し続ける行為を、自動車文化だと解釈しているに過ぎない。


【余談2】
 当HPにおける自動車文化の定義。
「得られた知識を相互に還元しあって活用し、車を通じて有形無形の財産を作り上げること」
「自動車に関する超法規的既得権益が存在し、それらがステークホルダにもたらすWIN-WINの関係の総称」
 余談の例では、「壊れやすくても部品がないよりマシ & パーツメーカーも食っていける」ということでWIN-WINの関係といえるが、超法規的既得権益は存在していない。