排ガス規制に翻弄された歴史、その1

 コスモAPは、コスモスポーツ以降に初めて「コスモ」の名を冠した車である。APとはAnti Polutionの略で、低公害車という意味だ。
 当レポートでコスモAPのことを語ってもボロが出るだけなので、ここでは今までほとんど注目されてこなかった、当時の排ガス規制への対応状況についてレポートしたい。というのもコスモAPは、外見上同一モデルでも昭和51年規制と53年規制をまたいで量産された車だからである。それが一同に会するという絶好の機会でもあるので取り上げたい。

 当時の状況を概説すると、昭和40年代の終わりかけて車による公害問題が顕在化してきた。またアメリカにおいてマスキー法なる排ガス規制が行われる状況となってきた。この規制をクリアしないとアメリカで車を売ることができない。また日本も排ガス規制を導入することになった。そこで各社は排ガス規制対応を始めた。日本の場合、いきなり厳しい規制を行ってもみんな困るだけなので、昭和48年から段階的に排ガス規制が強化された。その一部が昭和51年規制と53年規制である。

 排ガス規制への対応方法だが、当初は各社各様。ホンダはCVCC(一種の希薄燃焼)でマスキー法に適合した。一方マツダはサーマルリアクタという反応器を用いて対応し、トヨタはありとあらゆる手段で適合させた。が、CVCCもサーマルリアクタもNOx(窒素酸化物)の低減に限界があることから、排ガス規制の適合方法は排ガス浄化用触媒に落ち着き、その基本形態は現在も変わっていない。


 そんな時代に作られたコスモAPの排ガス対応策についてみてみよう。といっても、エンジンに付いている補機のバルブが増えたとか、そういうレベルの話しか出来なのだが・・・
 まずはこのコスモ。



 今回注目するのは、下の写真中央部、矢印で示す部分だ。



 何の部品かというとバルブ。これが排ガス規制クリアのための、もう1つのポイントだ。



 型式はというと「E-CD23C」。頭の「E」は「E-PG6SA」の「E」と同じ意味である。



 この車は昭和53年規制に適合している。



 次頁では昭和51年規制対応のコスモAPを見ていく。