スーパーカーブームの火付け役

 火付け役は、言わずとしれた池沢さとし氏。





 なんでも連載当初は人気があまり上がらなかったため、ジャンプお得意の打ち切り寸前までいったとか。が、打ち切りの通告を受けた直後に上がってきた人気投票でトップを獲得したため打ち切り中止となり、以降長期に渡って人気マンガとなるのであった。この奇蹟がなければ、間違いなく歴史は変わっていたのである。よく「○○がなかったら、この市場が開拓されるのにあと10年はかかっただろう」などという表現がされることがある。が、スーパーカーブームに関しては未来永劫生じなかったと思うし、事実現在まで再度発生していない。





 サーキットの狼について冷静になって考えてみると、当時の少年マンガとしては題材が変なのである。なぜなら車を運転することができない子供に対して、マッハ号のような秘密のメカを持たない実際に存在する車を書いたのだから。
 現代では「みどりのマキバオー(競馬が題材)」など、子供をターゲットとするには不似合いなマンガが当たり前のように存在するが、当時としては画期的なことではなかったかと思われる。





 受けた1つの要因は、ませたガキになれる内容にあったと考えられる。子供向けにもかかわらず、専門用語が結構並んでいたのである。例えば「スタビを打った」とか、「パワーウエイトレシオがどうのこうの」とかいう行である。





 で、人気が高じて映画化された。



 登場人物がすごい。高橋国光、長谷見昌弘、星野一義、中島悟・・・とくる。





 当時は他にも、梶原一騎作の「マッハ’78」=日の丸つけたポルシェがジャンプ台からジャンプして海に落ちる映画など、わけのわからんスーパーカー映画もあった。