開設3周年記念一般教書演説


 詳細はここを見ていただくとして、概要をかいつまんで言うと、

 1.旧車の犯した過ちとは何か
 2.それを繰り返さないためには何をすればいいのか
 3.「車を並べるだけのうだうたOFF会なんてやめちまえ」

と書いたのだ。案の定一部の人、つまり「あの人が好きだ嫌いだを意志決定の判断基準にした困った人たち」には大不評だった。繰り返しになるが「車をよくするにはどうするか」、「車のために何が出来るか」等本質的な部分を意志決定の判断基準に据えて行動し結果を出すことを真っ先に考えるのではなく、同じ種類の車を持っている事を共通項にしただけの、好きだ嫌いだというゴシップが面白いのが自動車趣味だと思っている人達だから、こんな話が面白いはずがない。とはいえ自動車趣味とは前々からこんな感じで、妙な車を所有しさえすれば自動車趣味になるという時代(←今でもそうか)だったのだから、それが至極当然と思っている彼らに全面的な非があると責めるわけにもいかない。時代の節目に必ず存在する摩擦である。大不評書くと失敗のように感じられるかもしれないが、想定内というより狙い通り。これを「あの人が好きだ嫌いだを意志決定の判断基準にした困った人たち」とか「些細なことですぐ切れる人達」を整理するための布石にできた。
 困った人たちがいるとどういう状況になるかといと、まず本質的・建設的な議論が進まなくなる。実際、とあるチャットでは深夜になると様々な人々に対する陰口のオンパレードであった。「やめろ」と注意したところでどうなるわけでもないし、最悪逆ギレされた人もいる。実際私にかわって注意してくれた人もいた。私が直々に出てきて元の鞘に納めるよう妥協点を探る選択肢もあったが、好きだ嫌いだを行動の判断基準にした人たちに何を説明したところで、過去の経験上火に油を注ぐことになるのは分かりきっていたので静観した。こんな連中の介在する場で、まともな話ができるだろうか。AZ−1の発展は望めるだろうか? 解決策はただ1つ、そういう人たちを整理することである。「整理する」とは、AZ−1から下りろとか強要するのではない。そういう人たちにとって、HPにアクセスし難い雰囲気を作ることである。これこそ「開設3周年記念一般教書演説」最大の狙いだったといっていいかもしれない。整理することによって建設的な話が進み発展することが出来る。整理された側は、進歩した状況に乗っかってもらえればそれでいい。大もめする前に整理することができたので、うまく軟着陸できて現在の繁栄があるものと私は考えている。
 そもそもなぜ「整理する」ということをしなければならないのか。普通ならば入学テストとか入社時の面接などでこのような人たちは事前に切られ問題は顕在化しなくて済むのだが、ネットの場合は誰が何を見ようとどこにアクセスしようと自由なため、「入った後」で整理するしかないのである。
 言い訳がましいが、切り捨てのプロセスはアクセス数の多い大手のサイトでは行われている。そうしないと非建設的な意見しか言わない人たちが原因で破綻するからだ。具体例は挙げないが、大もめした挙げ句に破綻もしくは解体的出直しを強いられたサイトなりクラブを知っているし、切り捨てのおかげで危機を乗り越え発展を遂げたサイトも知っている。どうであれ、旧車の犯した過ちを繰り返さないためには、またより一層の発展を遂げるためには避けて通れないプロセスである。彼らを整理することが正しかったことは、当HPの発展を見ていただければ自明であろう。非情に徹すべき時もあることは、社会的にそれなりの地位にいる人ならご理解いただけると思う。
 なお会社では、私は誉めて育てるタイプである。「説得上手は聞き上手」でもある。が、システムが違えば当然やり方も変える。それだけのことだ。

 そうは言っても整理するだけでなく、接点を見出すために不満を持つ人達とface to faceで話をしたこともある。が、共通していることは、彼らは何が言いたいのか、私にはさっぱり分からないことだった。言い換えれば、共通言語が存在しなかったため理解できなかったとも言える。つまり、現状はどうで自分の考える理想はこうで、理想が実現されるとどんなメリットがあるのか、理想に近づけるために自分たちは何をすべきなのか、実行してうまくいった実績なり、うまくいく可能性を語らないから理解できないのだ。出てくるのは漠然とした不満だけ。例えば私が未だ(というか昔から)ネスケの3.1を使用していることについても文句を言ってきた人までいた。特殊なブラウザではないと見えないようなHTML等が使われていて見にくいから改善しろという話ならわかるのだが・・・こんなことばかり並べられたんじゃあ、私としても理解できない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いである。何が言いたいのか分からないので、他の人に「通訳」してもらったこともあったが、それでもわからない。言っていることが全く非建設的なため理解できないでいると「何を言っても聞く耳を持たない」とか「多くの人の忠告を無視し・・・」とか言われ、またまた大不評だった。繰り返すが、聞く耳をもたないのではない。不平不満を言うだけで憂さが晴れるような取るに足らない非建設的な話につきあっても仕方ないのである。
 大不評だった点はもう1つある。当HPの位置づけ(理想に対する現状)を明確化するため他のサイト・クラブ、旧車と比較(ベンチマーク)した点である。ベンチマークはHP及び自己主張の構成上必要不可欠なものであり、合理的判断に基づく人ならその必要性・重要性は理解しているはずだが、好きだ嫌いだが判断基準となっている人にとっては不快感を覚えるだけの耐え難い行為らしい。

 それはそれで置いといて、全く理解できないことが生じたのには参った。不快感(好き嫌いの感情)を与えられた側が私に直接抗議するのではなく、全く別の人に話を持っていく例が多々あったことだ。好き嫌いを判断基準とする人達の行為がどれだけ理解しがたいものか、これも一例として紹介しておきたい。