RX500開発秘話

 8月2日のみに行われた特別企画、RX500開発秘話をお送りする。今まで十分に説明しきれていなかった事項について、開発に携わった方々の証言も加えてお伝えする。




 まず今回の「まぼろしのスーパーカー展」は、どういった経緯で開催されたかの説明があった。ちょうど1年前の「なつかしのスーパーカー展」開催中の07年8月に、RX500が眠っているとの情報が入ってきたのだそうだ。「なつかしのスーパーカー展」の第二弾、即ち「まぼろしのスーパーカー展」を行うには目玉が必要になる。目玉として童夢が、そして冬になってRX500に白羽の矢がたった。
 RX500をレストアするために08年5月にマツダから運び出され、2ヶ月でレストアを完了した。レストアの基本方針は、現存するパーツを出来るだけ生かすこと。ボディーに関してはノーズとリアバンパーに相当する部分を補修した程度で、あとは徹底的に磨きをかけた。ドアは付け根が折れていたので補修、シートはウレタンや表皮が腐っていたので、フレーム以外は作り替えた。ステアリングは縫い目を合わせてレストアした。



 そもそもRX500は、コスモスポーツの次モデルを考えようといったイメージから生まれたのだそうだ。しかし面白いイメージが浮かばなかった。フロントミッドシップ化リアミッドシップかということから話が出てリアミッドシップになった。
 RX500は250km/hを出すことを想定して作られたため、cd値をよくする必要があった。当初はcdが0.312あったが、リアをぶったぎるなどして0.11にまで改善した。RX500があんなスタイリングをしているのは、cd改善のためである。



 3色に変わっていったRX500のボディーカラー。その真相はこうだ。RX500の最初の色は緑。なぜ緑かというと、緑と赤はマツダの基本カラーだからだ。緑が印象的な車は、初代RX-7。そして近年ではデミオがある。赤はというと、AZ−1をはじめ、カーオブザイヤーをとったファミリア、コスモAPが思い浮かぶ。
 ところが東京モーターショーで全ての車の色を黄色にすることになり、RX500も黄色に塗り替えられた。最終的にはディーラーなどのショーカーとして使われ始めた際、各部に破損がでてきたので、ヘッドライトの追加とともにシルバーに塗り替えられた。



 RX500は自走することができた。250km/hからの停止を考え、キャリパは4ポッドになっている。そのためキャリパが大きくなった。そのためアルミホイールには苦労したとのこと。キャリパが大きいため8Jとか9Jにせざるをえなかったのだが、当時の製造技術ではせいぜい6Jまでとのことだった。そのため強度を無視してデザイン用に専用のアルミホイールを装着し、走行時にはてっちんに履き替えることになっていたそうだ。



 下の写真は当日初公開された、新たにおこしたRX500のクレイモデルである。








 RX500はAZ−1と同じく着せ替えコンセプトもあった。最終的には現在のグランツーリスモに絞られた。



グランツーリスモ



レーシングマシン



ロードスポーツクーペ


このクレイモデルでは、リアのデザインが変えられるようになっている。




 特にこのGTウイングがついたデザインは、丸いテールランプもあいまってAZ−1に通ずるものがあるなあ。こう書くと、「SAのRX-7だろ」と言われそうだが。




 後をはずしたところ。クレイが詰め込まれていて、相当重いそうだ。




 実は上記3種類のデザインの中で最も人気が高かったのは、レーシングマシンだった。時代の変化なのかもしれない。