チチヤス創始者のエンスー人生、その2

 より小回りの利く宅配にすべく、自動車に加えてサイドカーも使用されたようだ。ナンバーをよく見て欲しい。「廣74」と書いてあることから、廣島全体でみても数は相当少なかったようだ。





 時代が若干さかのぼるが、オートバイを宅配に利用することが高じてか、クラブを立ち上げて草レースもやっていた(驚)。時は大正、物資もインフラも整っていなかった頃である。現在の我々で言うなら、セパンに行くよりももっと大変なことだったかもしれない。こんなことをやらかした先人が広島にいたことは、ほとんど知られていない。







 宮内庁御用達となり発展を遂げるチチヤス。この写真に写っている車とは異なるが、チチヤス所有の木炭自動車が現存しており、イベントがあれば出動する。会場となったチチヤスと自動車趣味には意外な接点があったのだった。